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東日本大震災 被災地支援 活動報告

2011年 5月30日

こんにちは! 理学療法士(以下PT)の小林伸二です。

寒暖の差が激しいですね…
お出かけのときには温度調節できる服装をお持ちになって体調管理に気を付けてくださいね。
実はこれからの肌の露出が多い季節ほど身体は冷えやすくなり、冷えると血流も悪くなりますので
ご注意くださいね。  放射線問題も気になりますし…

さて
先日お知らせいたしました被災地支援に、さる5月26,27日予定通り行ってまいりました!
お休みの間ご迷惑をおかけしました患者様におかれましては、誠に申し訳ありませんでした。

場所は予定と異なり、両日とも宮城県は石巻市内となりました。
この場を借りて報告させていただきます。

なお、今回の活動と以下の文章は、わたくし個人の身勝手な行動および価値観で書かれており、当クリニックの行動規範や理念にはなんら関係ございませんので、ご了承のうえお読みください。

以下、点線枠内は企画された山本さんの5月25日付ブログ抜粋です
「リハビリ体操教室のお知らせ」
本日から東北に4度目のリハビリボランティアに行きます。 今回は初めて石巻に入る予定です。 在宅をテーマに避難所だけでなく実際の居宅での活動がテーマです。 避難所、施設、在宅そして仮設と各々に地域差も含め差があると言われています。 多くの情報をみるにつけ、ひとくくりで何かをいうことはできないということは確かです。 実際にその場に行ってみてどうかということを感じてみるしかないというところが多々あります。 また何度か被災地にいくにつけ、最初は命がテーマになりますが、徐々に生活へと時期は移っています。 リハビリももちろん大切なのですが、その内容は楽しみということをテーマにしたいと思います。 ニュースをみていてもいろんなイベントをすることで、気持ちが晴れやかになる姿をみることができます。 リハビリ指導も集団でイベント的な内容にしていけば、そこに人が集まるものと思われます。 楽しかった・・・そして良くなった。そんなサービスを目指してきます。
 今回は石巻の自治をとりしきっておられる戸田さんにお世話になり、なんと石巻の防災支援課、新聞、そしてラジオにて下記の内容を広報していただけるとのことです。また報告いたします。


健康のために治療および身体を動かしてみませんか? 心身にも知らず知らずの内に疲れがたまります。 関節や筋肉の健康維持はとても大切です。 普段病院や治療院にてリハビリ勤務をしている、 経験豊富な理学療法士が皆さまの身体のケアーをさせていただきます。

期日:5月26木曜日 27日 金曜日 
午前の部 10時~11時 「膝痛が治る 治療と体操」
 小林伸二(こばやししんじ) 長野県 軽井沢クリニック

午後の部 15時~16時「腰痛が治る 治療と体操」
 古富竜也(ふるとみたつや)長崎県 昭和会病院

個別治療:9:00~終日 随時受付けます。 
   運動療法・徒手療法・マッサージ指圧治療・生活指導

会場:石巻市旭町恒心会 会館  世話人:戸田豆腐店 戸田勇也

※特典:参加者の皆様には、漏れなく暑さ対策グッズを差し上げます。

企画&連絡先:運動連鎖アプローチ研究所  理学療法士 山本尚司


今回の活動はボランティア団体にも属さないで被災地支援を続ける山本さん個人の活動への参加です。
そのため予定が確定されず、こちらも不安な日々でした。
どのような状況で、何が望まれているのか分からないために
本当に被災地でお役にたてるのか・・・

そんな気持ちでいましたが
コンセプトが ~ボランティアなどの手が届かないところに行く~
というものでしたので、そこに共感し、まず行ってみよう!と気持ちを奮い立たせて
いざ出発の夜を迎えました。

皆さまから預かりました支援物資です。 本当にさまざまなものが集まり、車のトランク いっぱいになりました! しかしあまりに多く集まったので、出発直前にはその整理で心理的に圧迫されておりました。 もっと品物を指定したほうが良かったのかな? と考えていましたが、実際 現地ではこのさまざまな品物が功を奏しました。 本当に皆様のご協力に感謝です。 山本さんも軽井沢のパワーはやはりすごい! と驚いていました。

クリニックの大塚PT、拓実PT、関上に温かく見送られ軽井沢を5月25日20:20ごろ出発。
日付が変わるころ東北自動車道に突入しました。

白河ICから40kmほどは路面状態が悪く、路肩も陥没していたり、路面が波打っていたり、アスファルト補修してあるため、通常の高速道路では考えられない乗り味です。写真はちょうど大きく揺られているとき…右の中央分離帯が波打っています。 通常の高速道路がどれだけ整備されているのか実感した次第です。  山本さんはガイガーカウンターという腕時計式の放射線測定器をつけて高速道路を走ってきたようですが 福島県内ではそれ以外の4倍程度の放射線量(0.4μSv)を計測していたようです。これは車内で閉め切っていても同じなようです。

宮城県に入ってすぐの菅生PAで待ち合わせ。 わたしが到着したのは午前2時前。 1時間ほど仮眠をとってその後山本さん(左)と はるばる長崎から参加した3年目のPT古富さんと合流。簡単な打ち合わせをします。 あまりの眠さと 明日(今日)からの不安でどうにかなりそうです。

外に出るともう空が白んできています。
30分だけ仮眠をとり5時過ぎに出発。

仙台市内です。まったく何の違和感もありません。
ごくたまに電柱が斜めだったりする程度。
大震災後とは思えない街並みです。

仙台から石巻まで約50km三陸自動車道を進みます。
6時台なのに渋滞です。

女川、気仙沼に向かうルートなので混雑するとのこと。
自衛隊の車両、ボランティアの車両が多いのでしょうか。

二時間かかりました。

5月26日 午前7時20分ごろ
 会場となる石巻市旭町
会場周辺に到着。目立った家屋損壊も写真で見える壁ぐらいで、その向かいはコンビニも開店しています。 あとでわかったことですが、このコンビニは3日前に営業を再開。周辺唯一のコンビニということが判明。 最も状況が良い場所を最初に見たに過ぎなかったことがこの数時間後には判ることになります。 かなりの広範囲、おそらく佐久平全域ぐらいの規模が 浸水したと思われます。この場所も川のようになっていたそうです。

会場に到着。
町の役員の方に案内してもらって 公民館の鍵を開けます。 その建物の壁にあるラインが海水が上がってきた名残り。 80センチから120センチくらいだそうです。 水が引くまで4日間かかったそうです。 その間は長靴で歩いても瓦礫で穴があいてしまったり、自転車もパンクしたりと、ままならない状況。積雪もあったので本当に大変だったとのこと。お話を聞くとかなりのサバイバルです。自衛隊の重要性を痛感したそうです。

公民館に準備した軽井沢の皆さまからお預かりした支援物資です。品物は多種多様で生活のニーズに合わせられます。山本さんも持ってこられたので充実した内容になりました。 当初は配布するようなことを考えていましたが、バザー形式にして、参加された方々に選んでいただくほうが良いだろうということになり、写真のように並べました。フリーマーケットみたいで楽しそうです。

いよいよ始まりました!
膝痛に対する健康教室。15人ぐらいの方が集まってくださいました。ラジオでのアナウンスを聴いてきてくださった方もいらっしゃいました。 この公民館も床上浸水したそうです。会議用長テーブルを重ねてその上に高齢の方が一晩救助を待ったそうです。床上浸水したとは信じがたいくらいきれいになっていました。その分ボランティアの方々や、地域の方の並々ならぬ労力を想像することになります。

教室の後は、支援物資を選んでいただきます。
近所の商店街は壊滅、車は無く、物資は配給される。 買い物は被害のない地域に若いものがまとめ買いに出かける状況。経済的にも厳しい中、自分で選べるという喜びを少しでも感じていただけたのかな… と思えるひと時でした。

支援物資のご協力本当にありがとうございました!

その後は予約を取って個別にリハビリをさせていただきました。
震災した状況を皆さん臆さずお話ししてくださいます。それはたまっていた思いを吐き出す様にも感じられました。そしてそれを我々が受け入れることで皆さんの癒しにつながるような気がいたしました。 身体に関しては関節は非常に硬く、筋肉は使いにくそうな感じ。お腹あたりが硬くなっている方がほとんどで、これが特徴的でした。震災後の食生活の乱れ、精神的にゆっくり楽しんで食事をすることがないことも要因となっているのでしょう。


電気と水道は復旧していますが、お風呂は修復されず工事業者待ちという方がほとんどでした。
仮設住宅の工事に業者が集中しているために、在宅の方の家屋修理には全く手が回らない状況のようです。
そのために自衛隊風呂が大活躍。場所は決まっておらず、町内循環する自衛隊の車が放送して、その場所に向かうそうです。
入れる人数が決まっているので浴室内が混雑することもなく、湯船が深く、お湯も十分使えて、温度調節もすぐしてくれるので、今まで入った温泉のどれよりも快適、という声も聞かれました。
その反面、数日間隔で近親者のお風呂を借りに行ったり、自宅でお風呂に入れる人もそういった地域の状況や、震災時のトラウマからゆっくり入れなくなったという声も聞かれました。

今回は在宅の方に足を運んでいただく形式だったため、皆さん比較的明るく気さくに話してくださいましたが、 おそらく避難所などで感じる状況とは違うと思います。

家が完全に流されてしまったり、家族がほとんど亡くなってしまった。
そういう方はあまりおられなかったので、復興に向けて希望をお持ちのようでした。
前者の方々はどうなのでしょうか。どういう希望をお持ちなのでしょうか…。
それとも希望を見いだせずにいるのでしょうか…。

そういった空気感は感じられなかったので、それは良くもあり悪くもありました。
つまり悲壮感が漂う中ではなく、皆さんが自ら来たいと思った方を受け入れたわけですから、
いつものクリニックでの業務に近似しています。

しかし避難所では きっと そうはいきません。

本人に希望がなくてもリハビリをする必要がある方などはもっと対応が難しいことでしょう。

その空気感を感じずに今回の活動を行ってきたことには一抹の不安を覚えます。
しかし、今回少しだけ立ち寄った避難所がありましたが、 そこは仮設住宅への引っ越しが決まり、閉所される予定だそうです。
今後の活動を考えると、さまざまな場所や状況での展開が予想され 一概には物事を考えられなさそうです。
ツイッターで得た情報では、浸水したり壊れた家屋に住む被災者は2万人以上いるとも言われています。
狭い視野では先に進めませんが、実際現地にいると
その場その場をしのぐのが精一杯で、外部から行った我々もそれに感化される気がします。

1920年代、イギリスの登山家ジョージ・マロリーへのインタビューで「なぜエベレストに登るのか?」
という記者の質問に、事実かは不明らしいのですが、マロリーは「そこに山があるからだ。」と答えたとされ、
日本でも名言として今日まで伝えられてきました。

我々PTに言いかえれば
「なぜそれほどまでして被災地に行くのですか?」と尋ねられ
「そこにリハビリを待っている人がいるからだ。」ということになるのでしょう。

その気概を持ち行動すれば、進むべき道とその手段はおのずと決まってくるのかもしれません。

少し脱線しました…。 話を戻します・・・・
初日のお昼ご飯はコンビニで買ったおにぎりとサンドイッチ。
たまたまコンビニがあったから良かったのですが、このコンビニに運よく出会えなければ現地の方にご迷惑をかけていたことでしょう…。


活動報告その2


そしてお昼過ぎは、会場は山本さんが留守番するので現地視察に行ってきては?と提案をいただき、
長崎の古富さんと車で出かけました。会場から出て数分…。

言葉にならない光景を目の当たりにしました。

これでもきれいになったのよー。と現地の方は朗らかに言い放ちます。
2ヶ月半の復興の経過がそう言わせるのでしょう。突然平和な地から訪れた我々はただただ呆然とするしかすべがありません。 石巻港から2キロほどさかのぼり北上川の河口にそって街が開けているのですが、このとき見て回った場所の規模としては軽井沢駅前から銀座通りまでの全域が縦長にこのような被害を受けている状況です。

今現在、今回の震災で最も死者数と行方不明者数が多いのがこの石巻市です。
宮城県の死者数の3分の1、行方不明者数の半数を占めているのですから半端ではありません。
東北で唯一、南向きに湾がお椀をかぶせるような地形になっていることもその要因なのでしょう。

テレビや映画を観ているような錯覚に陥りますが、それと違うのは、海水に浸水したために漂う独特の磯臭さ、復旧作業に伴う砂塵や建物から発する粉じん、県内外から集まっている瓦礫撤去作業を行うトラックや重機の音などの感覚に直接働きかける実感。
自転車や徒歩でその街の中を移動する被災された方々の復興のため、生きるための営みが生で直接視覚に入り込んでくることです。
全身に感じるのです。

さて、午後は古富さんの腰痛体操が行われました。
緊張していっぱいいっぱいだったと彼は言っていましたが、常にさわやかな笑顔で行っていたこと、リハビリでは確実に参加者の方の満足を得ていたことを垣間見て、3年目なのにすごいなぁと思わざるを得ませんでした。
教室の前後には個別のリハビリを行いました。

各PTが1日で5,6人の方の個別リハビリをさせていただきました。
午後になってやっといつもの自分のリハビリが提供できるようになりました。
   いろいろ考えずに、今自分のできることをする。それだけです。

活動終了後、町の副会長である佐藤さんが夕飯に誘ってくださいました。
夕飯までには時間があったので、明るいうちに市内の散策をすることにしました。
石巻港の近くに日和山(ひよりやま)という市内を見渡せる場所があると聞いて、そこに向かうためです。
お昼過ぎにもそこに行きたかったのですが、道がわからず帰って来たので、山本さんが案内してくれることになりました。

海岸から2キロ以上、川沿いから数百メートル入った通りですが、車が無残に反転しています。

その他の場所でも車は沿岸から3キロ程度内陸でも何台も浸水して放置されているのを目撃しました。 今では建物に問題ないように見える場所でも、車を通して津波の被害があったことを実感できます。

ボランティア活動は一般のみではもちろんありません。
中心街の道路は信号が停電しており、この交差点の交通整理は兵庫県の警察が行っていました。 この他にも県外からの警察官が集まっていました。
当然地震自体の被害もありますが、 圧倒的に津波被害が甚大です。



高校生や中学生などの学生も当然瓦礫の中を普通に通学しています。
この景色さえなければ被災地以外の学生と全く変わらない表情をうかがえます。

もちろん抱えているもの、心情までは読み取れません。 しかし落胆している感じはあまり感じられませんでした。

そうはできないエネルギーが渦巻いているように感じます。
前夜ほとんど寝ていないわたくしたちも何かのエネルギーでこうして動かされているように感じました。

街で見かけた人々は、落胆こそしていませんが、明るく浮かれてもいません。
生きることにまっすぐ向き合っている。そういう表現のほうが正しいのかもしれません。

被災地以外の人々が上司や取引先でトラブルがあり落ち込んでうなだれている。
携帯ゲームで高得点がとれて自慢げに友人に話をして浮かれて喜んでいる。
そういうレベルではないということなのかもしれません。

ほとんどの商店が浸水によるヘドロなどは掃除してあり、ボランティア団体にお礼を伝え、場所を変えて開店していることを伝え、無事を伝え連絡先を伝えるため貼り紙がしてあります。ごくごく一部が開店再開しています。 なかには全く掃除がされていない店舗もあります。ヘドロがたまり、乾燥して固まっています。奥にはヘドロと一緒に固まったホウキが見えます。こうなってはもうどう掃除すればよいのか分からない様子がうかがえます。

日和山に面した急こう配の坂道を登ると神社を配した公園になっており、石巻港全体が見渡せました。 愕然としました。 テレビで何度となく報道されていた石巻市立病院が眼下中央に見えました。 160度近い視野のほぼすべてが津波による被害を受けています…。  唖然とするしかありません…。 かなりの撤去作業が進んでいる様子です。重機の音があちこちから聞こえてきます。 公園の素晴らしい新緑、すぐ近くで聴こえるウグイスの鳴き声。あまりにもギャップがあります。

1時間ほどの散策を終え、6時20分ごろ公民館の隣にある、旭町の副会長さんのお宅へ。
先ほども書きましたが、疲れをあまり感じません。気が張っているとはこのことですね。

副会長さんの自宅ももちろん浸水。 おかずの多くは支援物資や親せきから送られた保存食です。 北海道の親せきから送られてきたホッケやエゾ鹿の手作り燻製もいただきました。
二階にあった灯油ストーブと海水に乗って流れてきた灯油タンクでなんとか被災直後の寒さと調理を乗り切ったそうです。サバイバルです。
その後は、水を含んで100キロを超えた畳を運び出し、ヘドロをかき出し…。途方もない作業です。 タンスの最下段は開かなくなり、障子の格子や溝にはまだ拭いきれない細かい砂が残っていました。また自衛隊の存在が必要不可欠だったと申しておりました。

3時間ほど副会長宅にお世話になり、 夜の街に繰り出します。商店街や繁華街はほとんどが真っ暗ですが、5月中旬からは再開された店もあるようです。
スナックなども何店か開いていました。 石巻には漫画家 石ノ森章太郎の記念館があり商店街には彼のキャラクター像が建てられています。
石ノ森漫画館で検索すると石巻の商店街の現状など 多くの情報が得られますので覗いてみてください。

そして、夜の街に繰り出したのはこの店に入ってみたかったからです。 被害が多かった水辺に近い数百メートルはあろう繁華街の通り、左右を見回しても開いているのはここだけです。
あるボランティア団体が復興の足がかりになったようです。店内はのボランティア団体の方が数十人集まり大変な賑わいでした。 完全に部外者でしたが、同じボランティアということで入れていただきました。 決起集会のような様相。(実際は解散式?)山本さんも団体の方から共感を得て、挨拶をしたりしました。 なぜ お酒を飲んで盛り上がる必要があるのか。 その原点はこういった場面にあるのかもしれません。 メニュウは無く、お店が出せる料理をいただく。何杯かいただいたにもかかわらず、料金は一人800円でした。

当初は、2時間かかる名取市の山本さんの知り合い宅に泊まらせていただく予定でしたが、会長はじめ役員の方が、泊る場所を心配してくださって、公民館で泊らせていただくことを提案しましたら快諾をしていただき、時間的にかなり余裕が生まれ、有意義な夜と朝を迎えることが出来ました。
深謝です。
気温は10度前後と朝晩はかなり冷えましたが、支援物資の敷き毛布、毛布をお借りして快適でした。

二日目も順調にスタート。山本さんは別行動です。
昨日のリピーターの方、クチコミですごく良かったと聞いたので来てみた、という方もいらして
本当にありがたかったです。
お預かりした支援物資もご覧の通りほとんどなくなってしまいました!

旭町は周囲1キロほどの小さい地域です。 
町会長の戸田さんです。

なぜ我々が今回ここに来たのかは
山本さんのブログをご参照ください。
地元のラジオ局や広報、NHKにまで我々が来るアナウンスを依頼してくださりました。 やることが早い!
忙しく飛び回っておいででゆっくりお話しできたのは最終日の午後だけでした。

最後に個別リハビリもさせていただきました。
糖尿病も患っておいでで、両足がむくんで痛むとのこと。
全身カチカチでした。常に穏やかに笑顔で対応してくださいましたが、本当は相当お疲れなのだろうということがわたしの手を伝わって感じられます。
また最後は時間に押され全ての方に最後まで丁寧な対応が出来ませんでした。本当に悔やまれます。
写真にはありませんが、もう一人の副会長カンノさんも常に気遣ってくださり本当にありがたかったです。
旭町の皆様 大変お世話になりました。 今後の早期復旧を心よりお祈り申し上げ、継続した支援ができたらと切に願い、少しでも何らかな形で活動を続けたいと思います。

別行動している山本さんと合流するため、気仙沼、女川、石巻、仙台を結ぶ混雑した三陸道路を名取市目指して南下します。
仙台東部道路に入り、仙台若林JCT付近で目を奪う光景が我々の前に現れました。例の仙台空港周辺の地域です。
見渡す限り津波の被害に荒れ地と化しています。ただただ言葉を失うだけです。
そうそう。
石巻市内でもそうでしたが、車で走っていて、ついゆっくり走ってしまったりしても、クラクションを鳴らされたりすることがありませんでした。
道の譲り合いも穏やかでこれらは印象的でした。

5月27日 午後7時 名取市内の避難所に到着。
山本さんは今日だけで数か所の避難所を回り本当に精力的に動き回っています。 信じられない行動力です。

中央に写っているのが山本さんです。
中学生の女の子のリハビリ中でした。 テレビクルーも入っていて、子供たちもテレビ慣れしているようでした。 仮設住宅に移るため、もうすぐ閉所するそうです。

旭町での活動を終えて、完全に緊張を解いていた古富さんですが、山本さんからリハビリ依頼を受け、気持ちを切り替えます。
段ボールひとつだけになった支援物資はこの避難所に預けられました。

なんと山本さんと古富さんはこの後子供たちを対象に深夜11時まで個別リハビリを行ったそうです。
閉所したら次は会えないかもしれないという想いだったのでしょう。それにしても頭が下がります。。。

長野で明朝から予定があり、もともと休みをいただいていたわたしは後ろ髪をひかれながら ひとり現地を後にしました。
とはいうものの先は長い。ゆっくり急いで高速を南下します。

福島県内は周囲の車の速度も速めになります。
やはり放射線が心配です。とはいうものの東北道は往路も復路もすごい交通量でした。

以前わたしは埼玉に数年住んでおり、東北道はなじみ深いのですが、やはりこれほどの交通量は無かったように思います。
もちろん全てではないでしょうが、東北の復興のためにこれだけ多くの人々が動いているのですね。

しかし東北自動車道、北関東道と関越道が開通して本当に助かりました。
ここが通っていなかったら、もっと今回の活動への参加を躊躇したと思います。

おかげさまで5月28日午前零時ごろには軽井沢リハビリテーションクリニックの母体である太田医療技術専門学校の付近、太田桐生ICを通過しました。

講義のために通る佐久から学校までのこの距離をいつも遠いと感じるのですが、このときはものすごく近く感じました。

思えば今回の活動が始まった経緯は4月末に届いた山本さんからのメールでした。
「南相馬市にボランティアに行きますが、現地では肌着や靴下が足りないので送ってください。」という内容でした。
早速 家の中を探すと未使用の靴下が15足ほどでてまいりましたので、山本さんに翌日送付。
その旨を伝えるメールに 
「当クリニックの大塚PTの奥様の実家が仙台で 前職場の後輩PTの実家も仙台(名取市で実家の一階部分が損壊)であり、他人事とは思えません。マンパワーが必要なときはご連絡ください」
と書き込んだのがきっかけでした。

ゴールデンウィークにそれは現実のものとなりました。
南佐久在住の知り合いである有井PTが4月末の活動に参加していて、山本さんの意向が有井さんを通してわたしに伝わりました。
ボランティア活動のお誘いをいただいてから、今までの震災の報道が急速に今まで以上に身近なものになりました。
耳や目から入ってくる情報量が一気に増えるのです。他人事ではないと言っていながらやはり他人事だったということに気付くのです。
そんな中、GW明けに山本さんに送ったメールは以下の通りです。

「山本先生  お世話になっています。このたびの被災地支援活動お疲れ様です。
被災地支援について有井君から何回か連絡をいただきました。ありがとうございます。
彼とも相談した結果、直接先生にご連絡させていただきます。
被災地支援は心情的にぜひ参加したいという思いでおりますが、
 ・現実的な手段や時間的経済的諸問題
 ・一度きりの支援になってしまっては自己満足に過ぎないのではないか
 ・参加によって疲弊して自分の生活や患者様に迷惑がかかっては本末転倒では?
  などなど 現実的にイメージすると躊躇や葛藤、悩みもございます。(南相馬をはじめとする警戒区域は避けたいという思いは全くありません)
そういう意味で実際現地に行かれた山本先生や有井君との温度差も感じております。
となりますと、一度行ってみなければ何とも言えない面も多々あるのではないかという結論に有井君との相談の中で至りました。
もし今月末、人員が必要であればご一緒できると思います。
ただボランティア経験は皆無ですのでご了承ください。」


決意したものの実際の心情は不安と躊躇にさいなまれていました。
体調も崩しました。

そして行ってきた後 感じるのは…

今回行かせていただいたのは石巻市の何百とある被災した町の中の一つでしかすぎず、そこで二日間で40名前後のリハビリをさせていただいたのですが、 ある方は股関節の手術を被災直前にされて、被災後リハビリを受けられなくなり、通常杖も無く歩けるはずがシルバーカーなしでは移動できなくなっていること。
また来られた方の知り合いは被災前バリアフリーの家屋で自立生活を送っていたのに、被災により動けない時期が長かったため以前のように動けなくなり、家族が介護に限界を感じている旨の相談を受けたこと。
など、まだまだ支援の手が届かない多くのリハビリ難民がおられるであろうことを実感もしました。

そんな現状も知らずに自分の中で限界を作ってしまっていたことを今は恥ずかしく思います。

行く側の時間的、経済的問題、お役に立てるかどうかなんて不安がってる場合ではないんです。
多くの人の力が集まればもっと解決できる。今はそう思えるのです。

そのためには今回の自分の経験と考えを広く世間に発信する必要があるのです。
という理由で これから現地へ赴くであろうPTへのメッセージも込めて、今回のブログはこんなしつこい大作になってしまいました…。

今回 当クリニックの患者様各位におかれましては
たくさんのご協力、励ましをいただき本当に感謝しています。
皆さまのご協力があったからこそ、それがわたくしの力になりました。
車のトランクには皆さまの想いが一緒にあったのですから怖くもありませんでした。
そして皆さまの想いは確実に現地の方に届きました!
そすてこの活動を今後も続けるために、またご協力をお願いすることがあるかもしれません。
その時はまたご協力よろしくお願いいたします!!

そして今回の活動を支えてくれた家族や友人、職場のスタッフの方々にもこの場を借りてお礼申し上げます。
とりとめのない長文、最後までお読みいただいてありがとうございます。

5月28日 午前1時30分 
クリニックに無事帰還いたしました。
リハビリの実習生たちがレポート作成中でした。
こういうとき、誰かに会えるって嬉しいですね。
まさしく“face to face”です。

総走行距離は、ほぼ1000kmでした。

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