被災地支援 第3弾 活動報告
2011年8月11日
つい先日まで冷夏かなぁ、節電問題にはちょうどよいなぁ…などと思っていましたが、お盆前になって本格的な暑さがやってまいりました! 熱中症対策は皆さん万全ですか?
今年の夏は“塩入り”食品が流行っていますね。お茶は利尿作用がありますし、水だけでは塩分濃度が減るために結果的に利尿作用が高まります。
塩分の摂り過ぎもよくないのですが、普段よりも水分を多く取る場合は適度に塩分摂取も心がけ、残りわずかの暑い夏を乗り切りましょう。
さて、ちょっと遅くなりましたが、
7月31~8月1日 石巻市へ第3弾のリハビリボランティア活動に行ってまいりましたのでご報告させていただきます。
その間、ご迷惑をかけました患者様、個人的な活動にご理解いただき送り出していただいた職場の皆様にこの場を借りてお詫びとお礼申し上げます。
今回も第2弾と同様、雨宮病院のPTとチームを組み、計3人で行ってまいりました。
継続した活動となりますと、諸費用も各自の負担がつらくなりますので、 今回は1週間前の日曜日にチャリティセミナーとして、当クリニックと雨宮病院のPTを対象とした勉強会を有料で行い、 集まったお金を支援金とさせていただき、旅費の一部とさせていただきました。
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雨宮病院の宮下PT(左)と熊谷PT(右)です。 |
いつものように支援物資を車いっぱい積んで行きました。 高速道路料金も通常9000円前後かかりますが自治体にボランティア目的の申請を行い、無料で通行できました。 初回は私一人でかなり大変でしたが、3人となると時間的にも身体的にもかなり楽ですし、淋しくないのがいいですね。 栃木から先は時おり激しく雨が降るあいにくの天気でした。 |
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午前0時ごろには仙台に到着 雨宮病院のPT熊谷が仙台出身のため、彼のおばさんのお宅に泊めさせていただきました。 ありがとうございました。 たっぷり寝れるぞ!と思っていたのですが、 この日の明け方、震度4程度の地震があって、結局寝不足になった3人でした… おばさんたち現地の人はその程度はもう平気だそうです。 |
まだまだ風化させてはいけない。
新聞やテレビなどのメディアで“復興支援”や“地震速報”という文字を目にすることが
最近では“非日常”から、“日常”に変わり、7月後半の涼しさもあって、節電も当初より取りざたされることは多くなくなった印象があります。
残るは放射性物質への懸念や、経済への先行き不安が被災地以外に住む我々の関心ごととなっているのではないでしょうか?
しかし、二か月ぶりに被災地支援活動に行かせていただき感じたのは
まだ被災地は何ら変わってはいない。
ということでした。
今回は
今まで2回訪れた石巻市旭町は雨宮病院PTに二人に任せて
わたしはface to face(以下FTF)というリハビリボランティア団体の活動に参加するため石巻市雄勝町に向かいました。
FTFは、この度の被災地支援活動のきっかけとなった山本さんも中心人物の一人で、山本さんからの依頼があり、雄勝行きが決まりました。
(FTFについて詳しくはこちらhttp://ftfreha.net/ )
石巻市中心街にある旭町が今までの活動場所でしたが、
今回向かった雄勝町はそこから30キロほど離れた街です。
海岸沿いにある街と内陸の集落、半島内に点在するいくつかの集落からなります。
周辺のいくつかの道路が現在も通行止めで、×印で示したのがその一部ですが、
通れたとしても、がけ崩れや道路状態が悪い場所も点在しています。
赤いラインが旭町から雄勝町大須地区までの道程です。
中心街は完全に壊滅。 あまりのひどさに帰り道も愕然とした気分をぬぐい去れないままでした。
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雄勝町に入る手前、北上川沿いの集落。 あたり一面が津波の被害を受けています。 残っている建物も、一階部分は大きくえぐられていました。 道路はアスファルトが剥がれていました。 |
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道中すれ違うほとんどの車の運転手や同乗者は喪服を着ていました。 お盆も近い日曜日ということもあるのでしょうか、行方不明者の葬儀が執り行われているのでは、と推測します。 30キロの道中、5から6か所以上葬儀開催の案内が道路わきに掲げられており、尋常ではない光景でした。 |
山道を下り雄勝町に入ったとたんにこの光景です・・・。
海岸から1キロほど内陸でしょうか。
まだ海が見えていないので、津波がここまで来たとは、まさしく信じられない光景です。
雄勝町の中心部です。この道路の右側はすぐ海岸になります。
町内の市立病院は入院患者さんやスタッフが3階建物の屋上に避難したにもかかわらず、全員津波に流されたそうです。
石巻市の東から北はリアス式海岸になっており、狭い入り組んだ港の構造上、かなりの高さの津波が襲ったのだと思われます。
え!?こんな高台の家の二階まで!!??と思わされる光景を何度となく目にしました。
道路はいくつか崖崩れが残っている場所がありましたが、がれきは撤去してあります。
3階建ての建物とほぼ同じ高さに瓦礫が積まれています。
それだけでかなりの仕事量だったと思われます。
日曜日だったせいか、もう撤去作業は中断しているのか、この日は重機などの機械は動いていませんでした。
ではこの街のこの先は!?
復興対策(このまま海岸に街を再建するのか、高台に新しく街を作るのか?など)が政府や自治体から提示されていない現状で、今後も瓦礫撤去にどれだけ人員や予算を投入する必要性があるのかも疑問です。
また、被災地以外に目を向けると
先日の新潟福島の水害ではボランティアが不足しているそうです。
政府はGDP180%以上の赤字国債をかかえ、原発や節電問題などにも頭を抱えている。
そんな状況下で、誰が、どう、この諸問題を解決していくのか?
日本が抱える大きな問題を
被災地の壊滅した街を通して、突きつけられた気がするのです。
あまりにも大きくのしかかってくるその重い雰囲気に押しつぶされそうになりながら
車を走らせます。
初めて被災地に来させていただいた2か月前と大きく違ったのは
ただ単に“ボランティアに参加すること”に意義を感じた初回とは違う
この“感じ”でしょうか。
余談ですが、8月9日のテレビでこんな報道がされていました。
岩手は陸前高田にあった松林のうち津波で流されなかった”奇跡の一本松“は震災後有名になりましたが、流された松から薪を作り、その薪に被災地で亡くなった方へ被災者がメッセージを書き、京都の大文字焼きにて慰霊してもらおうという企画があったそうです。
しかし京都にて薪から放射線物質が放出、拡散し、放射線被害やイメージを悪くするのでは?という苦情が出たのです。
これを受けて実行委員会が放射線検査をして、数値はゼロだったにもかかわらず、実行委員全員の承諾が得られずに急きょ中止になった、というものでした。
皆さんはどう思いますか?
いろいろな意見があるとは思いますが、私個人は、この震災で亡くなった方々、残された人々、被った被害、その想いも、実質的な問題も含め、全てを日本国民全員でシェアしなければ、復興はままならない規模だということを、被災地以外の人々は知らなかったり、忘れかけているのでは?と思います。
世界各国で起こっている天災、そして
先進国であるアメリカでは格付けが下がり、イギリスでは暴動と、世界的な経済危機も迎えています。
人類全体が危機を迎えているのだと…いや、地球に人類が試されているのかもしれません。
なんてことも考えてしまいます・・・。
話を戻します。
海岸沿いの雄勝町中心街を過ぎるとすぐ昇り坂になり、その途中の右側に雄心苑という震災前には特別養護老人ホームだった施設があり、そこが現在は自治体の出張所の機能を果たしています。
FTFのメンバーが毎週のように雄勝入りをして、この雄心苑を拠点に情報収集と支援活動を続けており
わたしも微力ながらそのお手伝いをさせていただきました。
主体となって活動されているのは
千葉県のリハドクターである藤本先生です。
1年目のPTの方も二人おいでになっていて、助手をされていました。
FTFのスタッフが過去に訪問した方や、リハビリをされた方の情報をまとめ、
次に来られるスタッフと情報を共有できるようカルテを作成したり、
定期的に継続した支援が必要なのか判断したり、新規のリハビリニーズがある方を住宅地図を頼りに
現地で訪ねて探していったりするのが主な作業です。
ほぼ毎週のようにどなたか全国各地で働いているFTFのスタッフが
現地に入って根気良く情報を集めてきた経緯を個人カルテや地域ごとにまとめたファイルを通して垣間見ることが出来ます。
藤本先生の雄勝での活動が読売新聞に掲載されました。
記事はこちらhttp://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=44901
わたしは藤本先生がピックアップしてくださった大須地区の何人かをお訪ねして
その後の経過を確認し、継続支援が必要かどうかを探る役目を仰せつかりまして
藤本先生の部下である磯野PTを助手につけていただき現地へ向かいました。
大須地区 集落の入口付近です。
右はじの写真中央がFTFスタッフが宿泊でお世話になっている亀山旅館です。
右方向に数百メートル急坂を下ると海岸になります。
途中には小さい商店があり、このときは品物も置いてあり営業しているようでした。
大須地区の港にある漁村センターと磯野PTです。
海が見えて、“きれいだねー嬉しい”ではなく、
このときは近付くのが非常に“怖かった”というのが実感です。
漁業と全く関係ない仕事をしている集落の人でも何らかな形で海と関わっており、小舟を持ち、カキなどの海産物を獲られるそうです。
舟は全て流されたようで、一艘も停泊していませんでした。
この集落のなかと、少し離れた場所にある大須小学校の避難所のなかで
5から6軒あたりのお宅を訪問したのですが、
障害度がやや高くお会いしたかったお二人はあいにく不在でした。
坂道や階段の昇降は何とか出来るが、震災前より比べると悪くなっているという残りの方のお話をお聞きしたり、身体の状態を見させていただき、体操指導のプリントなどをお渡ししてきました。
書類関係は磯野さんが皆やってくださり、本当に助かりました。
1年目とは思えないキビキビとした仕事さばきで藤本先生はじめとするリハビリテーション科での教育が素晴らしいのだろうと推測されました。
3時間ほどの短い滞在時間でしたのでわたしに出来たことはあまりなかったのですが、
雄心苑に戻り藤本先生にご報告させていただき
雄勝町での活動は終了となりました。
短い時間でしたが、現地の方のお話を聞けたことで、得るものは非常に大きかったように思います。
陰鬱な気分で旭町に戻り、懐かしい?恒心会館に入った時はなぜかホッとしました。
戸田会長の身体をみさせていただきました。前回よりは足の硬さが柔らかいようです。
その他にも、2か月前にも来られていた方を数名拝見しましたが、歩き方が良くなっている印象を受け、
リハビリの効果とまでは言えないでしょうが、嬉しく思いました。
石巻は毎年夏に旧北上川沿い、中心街で川開き祭りを開催しています。
今年は
慰霊の意味を込めた灯篭流しが7月31日に
希望への祈りを込めた花火大会が8月1日に開催されました。
我々ボランティアも現地の人に寄り添うという意味で、今回はこの二つの行事に参加いたしました。
灯篭流しはお祭りの要素もあり、予想以上に老若男女が集まり賑やかだったのですが、
やはり涙を流して灯篭流しをみている方が多く、我々も涙なしではその場に居られませんでした。
詳しくは雨宮病院のPTのブログ、こちらhttp://amereha.seesaa.net/
をご覧ください。
(まだアップされていないかもしれません…)その場合雨宮病院のPT熊谷の個人ブログ、こちらをどうぞ
http://ameblo.jp/kuma-home/
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「いいかげん 仮設が 当たりたいです」 |
幼稚園児達が描いた復興への願い |
さて
今回は3回目の旭町での活動であり、もっと現地の方のニーズなどを吸い上げたいという思いから
アンケートを実施いたしました。
行く直前に思いつき、急いで作ったので内容は詰めが甘いのですが
ここでご報告いたします。
アンケート回答者数 21名
| 女性:16名 | 男性:5名 | |
| 40代 | 1 | - |
| 50代 | 3 | - |
| 60代 | 4 | 1 |
| 70代 | 6 | 3 |
| 80代 | 2 | 1 |
| Q1 今一番お困りのことは何ですか?今回のボランティアに関わらずどんなことでも結構ですのでお書きください。 |
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・足や腰が痛い、歩行困難、立ち座りが痛いなど:6件 ・一階が使えず二階のみの生活で大変 ・市、県、国からの情報が遅い! ・足腰が悪い高齢者には街に店がなくまだ不便 ・体調が悪いと気が滅入るので体調を良くして前向きに頑張りたい ・実家が全壊したが、いつ新築するか、もしくは貸家にするか悩んでいる ・家を探している ・居間や風呂など修理がまだ来ない ・農地法改革してほしい |
| Q2 被災地の方の自立心を高めるために、支援物資などはあまり送らないほうが良い、という情報が 被災地以外では聞かれるのですが、実際どう思われますか? |
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・助かっている:5件 ・迷惑をかけるのでいつまでも甘えていてはいけない:2件 ・必要としている人に届くようにすればよい:3件 ・当時はとても助かった:2件 ・地震保険に入っていない人は今後新築するにしてもかなりの資金が必要になるので支援物資はありがたい ・食品が欲しい ・自立するまで欲しい ・まだまだ必要な人はいる ・送らないほうが良い |
| Q3 旭町のボランティアは3回目ですが、あなたは何回参加されていますか? |
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・初めて:10名 ・2回目:4名 ・3回目:5名 ・1日2回などそれ以上:2名 |
| Q4 どのようなきっかけで今回のリハビリボランティアを知りましたか? (複数可) |
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・ラジオで聞いた:1名 ・チラシで読んだ:9名 ・知人から聞いた:7名 ・その他(回覧板):4名 |
| Q5 参加されてどのように感じましたか? また、今後のご要望などありますか? |
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・感謝:8件 ・継続してほしい:5件 ・身体のみならず精神的に癒された:2件 ・整形に通院していたが今は出来ないのでありがたい ・癒され、身体へのアドバイスもいただき感謝 ・来るまでは不安だったが良かった。また是非してほしい ・大変心に安らぎを感じた ・すごく気持ちよく、また参加したい ・勉強になった ・リラックスでき、体操も良かった ・心のこもった心配り、話し方に感謝 |
| Q6 旭町以外でもリハビリボランティアが必要そうな地域など、ご存知でしたら教えてください。町や地域 以外に、避難所や仮設住宅でも可 |
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・駅前北通り、市役所周辺:2件 ・住吉町の公民館(住吉公園内) ・南中里 ・千石町は旭町より2か月も遅く支援物資の食品などが配られ大変だった。 また支援活動も悪い町だ ・交通の便が悪く足のこともあり出掛けないのでわかりません |
以上です。
リピーターの方ばかりではなく、新規の方も意外と多いことに驚きました。
継続してほしいという声も多く、本当にありがたいです。
その他皆さんのニーズは多種多様であることが伺えます。
出来ることをやっていく… それが答えなのでは?と考えます。
今回の活動で現地に提供した支援物資は
・情報を聞きつけた軽井沢リハビリテーションクリニックの一部の患者様
・前回の義援金の余り
・雨宮病院のスタッフの皆さんからいただいた義援金
・そして軽井沢のママさんグループが立ち上げた被災地支援団体『ままふあり』の皆さんのご協力
によって用意されました。
ままふありのブログはこちらからhttp://ameblo.jp/mamahuali/page-1.html#main
ご協力いただいた皆さま 本当にありがとうございます。
ままふありの皆さんにはお忙しいところご無理を言って支援物資を集めていただいたうえに、さらに
クリニックまでお持ちいただき本当にありがとうございました。
前回と今回は、持参した支援物資は初日の午前の段階で9割がた無くなってしまうという状況でした。
やはり皆さん口には出せなくても苦しいのだと思います。
「もう今更 甘えたことを言っていられない。もっと大変な人もいるのだから…。」
そんな声も聞かれました。
今回いろいろとお話しさせていただいた中で
非常に印象に残った話を紹介したいと思います。
5月末の初回に感じたのは、
周囲の皆が被災しているために愚痴もこぼせない状況で
我々が訪れたことで、お話をうかがうことで、その想いを受け止めることが出来、それをきっかけに
身体もほぐれていく印象があった。
ということです。
しかし今回はこれを実際口に出して訴えた方がいらっしゃいました。
みたところ大変元気でしたが
リハビリを希望され身体をみさせていただきながら
以下のようなお話をしてくださいました。
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たまたま自宅は高台で津波による被災は免れたが、屋根瓦も取り換えが必要で雨漏りもしている。 お風呂も地盤沈下して修理を待っているが、順番待ちでいまだに治っていない。 屋根瓦の修理には200万円かかるが、一部損壊の判断なので、生活支援金はもらえない。 その線引きは非常に微妙で、でも線引きされてしまうので、修理費用がかかる家よりかからない家に支援金が分配されるケース(床上浸水など)もある。 結局お金か…と言われるのが皆いやで言えなくなっているし、同じ集落内で仲良い友達がかたや支援金がもらえて、かたや支援金がもらえないとなると、その話題には友人でも触れられなくなる。 生活支援金が全国から寄せられた皆さんの善意である義援金で賄われているのであれば、なおさら5万でも10万でもいいから全被災者にまず分配するべきではないだろうか? 家族にはもう何か月もたってるし、もっとつらい人もいるんだから、そんなこと言ったって始まらないよ…と言われるが、これだけの大きい範囲に被災地がある災害で、わたしがそう思っているのなら、同じように苦しんでいる人が絶対多くいるはずだから、同じ集落の人には言えないけど、外部の人には是非訴えたい。 坂道を上り下りしないと外部には出られないが、その行為自体が地震を思い出し頭痛がして足がすくんでしまう。長いことペーパードライバーでやっと去年免許を書き変えて車を買ったのに、車は流されて道路状況も悪いので運転も怖くてできない。 震災前は公民館で太極拳を習っており身体のメンテナンスをしていたが、今は同じような教室に通うためには車を運転しなければならないので今は行けずにいる。 仙台に息子がいて、“母さんそこではもう暮らせないよ” と言われると確かにそうだなと思うのだけれど、長い間暮らした場所だし、家も直せば何とか住めるので、逆に決められずに、本当に悩んでいる。 皆さんがわたしなんかをみて こんな元気な人が何でリハビリ?って思われるのも承知なんですが、こうして身体を自宅に居ながらメンテナンスしてもらって、誰にも話せないこんな話をするだけで本当に楽になる気がして、 気持ちがすっきりして、前向きに頑張ろうって思えるんです。 |
と…。
最近ではボランティアの介入がいろいろと問題になっているようです。
つまり現地の人はもう望んでいないのでは?というような論議がされているようです。
自治体や企業、施設や団体、さまざまな組織が被災地に内外問わず入り乱れています。
現状を守りたかったり、地域の企業を守りたかったり、被災者を守りたかったり、いろいろな思いが交錯しています。
変化が訪れようとするとき、守りの姿勢に入るのは当たり前です。
ただ現地を訪れない人が論議に加わったり、ボランティアへの参加をそういった風評?によって躊躇したりするのはちょっと違うと思います。
重症度が高かったり、障害があることでリハビリのニーズを確認し、リハビリ介入を地元の組織や施設に橋渡しする作業がわれわれが行う最優先の仕事ですが
誰も気にかけないような津波被害を受けていない方にも多くのドラマがあり、苦しみ、悩みを抱え、
そんな隙間に我々がたまたま介入させていただき触れあえたことでその意義を知るのです。
義援金は日赤を通して各自治体に分配が始まっています。
その分配方法は各自治体にゆだねられており、
その方法も多種多様です。
いくつかの自治体では災害救助法の基準に満たない一部損壊のお宅にも見舞金として分配を決めているようですが、結局自治体任せなので公平ではないのが現状なようです。
いずれにしてもまだまだボランティアのニーズはあります。
参加を迷うようなら是非参加してみてはいかがでしょうか?
さてさて
8月1日は川開き祭りの本番のせいかあまりリハビリに集まる方も多くありませんでしたが、
この日は山本さんが合流し、大きな変化がありました。
キャンナスという訪問ナースのボランティア団体が震災直後に石巻市に入っており、
地元の企業と共同して福祉施設開設を企画したりしているのですが、その代表と山本さんが接見、
わたしも同行させてもらいました。
そこで地元で開業され、10年前から市内を往診して回っている医師を紹介してもらうことに。
また、その医師が旭町の町会長である戸田さんと繋がっていることが判明。
ボランティアもいつまでも続けるわけにはいきません。リハビリのニーズを拾い、現地につなげ、
自立への足がかりを支援するのがその目的ならば、まさに“現地につなげる”というきっかけに立ち会ったということになります。
復興の花火をあげる川開き祭りのその日に現地の医師と山本さんが繋がり、その医師は我々の活動を
誰よりもご存知の戸田会長と繋がっていたのです!
運命的な何かを感じずにはいられませんでした。
山本さんは、次世代を担う子供たちにも被災地を見せたいということで
お子さんを同伴されてきていました。ナースとの接見中、わたしが案内役になり
お祭りに連れて回りました。
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とても賑やかな 石巻中心街。しかし、崩れかかった建物や、修理されていないお店など、2か月前と大差はありません。 山本さんの娘さん(右)と仙台の徒手医学治療院 本多さんの娘さん(左) 子供はやっぱり元気です! いか焼きが食べたいと、いか焼き探しで歩き回りました |
そして夜は
復興への希望を乗せた
花火大会です。
川開き祭りの開催は賛否両論があったようですが
何とか開催にこぎつけたようです。
被災された人々の復興への強い想い、エネルギーを肌で感じました。
8月5日付の長野の新聞、信濃毎日新聞の1面に
作家 高樹のぶ子さんの こんなインタビューが掲載されていました。
その通りだな…と感じます。
~中略~
花火を途中で切り上げ、松島の宿に移動しました。
石巻市内のホテルは一部が営業再開しているのみで、営業していたとしても、ボランティア団体がおさえているため、全く予約がとれません。
6月中旬に検索しましたが、一番近い宿が石巻から30キロほど離れた松島のこの宿だけでした。
そこで見た地元新聞です。
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雨宮病院のPTは午後から仕事ということで、宿の女将さんに無理を言って
5時半に朝食を出していただきました。 宿は床がところどころくぼんでいたり、 窓の立てつけも悪くなって隙間があいていたりしました。 ボランティアの受付しかしていないようで、ギリギリの営業をしている印象です。 コンビニご飯がメインの我々にとっては、ここのご飯はめっちゃ美味しかったです。 山本さんは雄勝入りするためにここから別行動です。 |
帰りの道中は、午後仕事の雨宮病院PTに休んでもらうために、わたしが運転を多めにしたのですが、
なんとわたくしが2回もジャンクションでの進行方向を間違えまして…(人生初です!)
1か所は料金所手前でUターン、2か所目は料金所でボランティアという旨を説明し、入りなおしました。
そんなハプニングもあり、逆に彼らは休めなかったという結末になりました…
大変申し訳ありません…
そんなこんなで
今回の被災地支援は終了となりました。
まだまだ解決の道は長い…。
忘れずに、共有し、できることを、やっていきたい。そう思います。
またまた 長文乱文失礼いたしました。
ここまで読んでいただいた皆様、ありがとうございます。


